【 働く人々の為のビジネスマン護身法 】
実践セオリー
【 ビジネスマン護身法の実践セオリー/実践の心得と習得目標 】
※ 本プログラムの実践上でとても重要な“心得”です。時々読み返して下さい。
その1: “負ける(逃げる)が勝ち‥武勇に走らない”ことを、肝に銘じる。
本護身法を身に付けて、いざ貴方が暴力に巻き込まれた時に肝に銘じて頂きたいお約束は、決して安易に武勇に走らないことです。
元々腕っ節に自信のある人、あるいは、本護身法を習得して腕に覚えが出来るようになるとついつい、人間が本来持っている闘争本能のスイッチが入り相手をぶちのめしてしまいたい思いがもたげてしまいがちです。
しかし、武勇に走ることは、例えば、大切な家族やか弱い女性、子供などを護る為のやむを得ない場合は別として、多くのケースで貴方を不幸にしてしまいます。挑発行為に暴力で応じたならば大立ち回りに発展、アドレナリンの大量分泌により冷静さが失われ、双方が大怪我をしてしまうリスクが高まってしまいます。
また今の世の中は、監視社会です。相手をぶちのめしてその場から姿をくらましたとしても、よほどの田舎や山中などで無い限り、ほとんどの人が携帯カメラを持ち街には監視カメラが溢れている監視社会では、一昔のように“殴り逃げは先ずもって通用しない時代”です。
自分がかっこ悪く、惨めに思えても、できる得る限り喧嘩沙汰にエスカレートさせない事を肝に銘じながら凜とした態度で説得して収める事を目指しましょう。
その2: “相手の暴力を抑止するオーラを発する心技体つくりを目指す。”
暴力トラブルから身を護る最強の護身の方法とは、相手が暴力を振う事を避けるオーラを発する肉体や雰囲気をかもし出し、戦わずして勝つ事であると私は思います。
つまり、暴力トラブルに巻き込まれ無いことが理想の護身法といえるのですが、もし、貴方が身長180㎝以上で100㎏近い体躯の持ち主であれば、先ずもって喧嘩を売られる可能性は低いでしょうし、また、背は低くても鍛え上げられたマッチョマン、あるいは、筋肉モリモリでなく細身であっても例えばボクサーのように見るからに引き締まって俊敏な雰囲気を纏っているならば、相手が暴力を振るう事を躊躇するはずですが、彼らに共通していることは、常人よりも堂々としておびえが無い事だと思います。
そこで、本プログラムでは習得目標の1つに貴方と対峙した相手が、彼らと近いオーラを感じ取って自然に矛を収める為の3つの要素 ①心(ゆとり=自信)、②技(護身のテクニック)、③体(健康で若々しい肉体)をゲットして頂ける具体的な仕組みをご用意させて頂きました。
え、暴力を寄せ付けないオーラ?! 運動が苦手で忙しい私には無理と思われたかも知れませんが、安心して下さい。頻繁に道場やジムに通わなくても最低限の無理の無い筋トレと、仕事の合間に行える“ながら習慣術”で獲得出来る無理の無いメニュー構成です。もちろん個人差はありますが、まずは、3ヶ月、自分のペースで継続して見て下さい。貴方は、きっと前よりも自信に満ちた堂々とした自分に出会えるはずです。
事実私は、このプログラム継続していることで還暦を過ぎても写真の肉体を維持、数年前には構えただけでオヤジ狩りが、逃げていった経験もあります。そして、大分老齢に近づいた今も、小学性レベルの空手と筋トレだけで維持している肉体と、確かな護身のイメージが、自信となって暴漢を寄せ付けない雰囲気が備わっていると自負しております。
その3: “先手は人生を台無しに、後手からさばくことを初手”と意識する。
暴力トラブルから自身の身を護る心得その3は、殴り合いや取っ組み合いが避けられない場合に取るべき行動のシュミュレーションです。
相手と口論になったり、挑発を受けた時に守らなければないルールは、決して貴方から先に手を出してはならないということです。特に衆人環視の中、現代の監視社会では後々不利な証拠として写真や映像に残ってしまうのが当たり前の時代です。
そして、相手が先に挑発した場合でも、先に手を出して怪我を負わせてしまったならばそれが例えば顔に青あざや唇が切れた程度の軽微なものであったとしても、相手に損害賠償を要求されれば、それに応じなければならない可能性が高いのです。
それがもし、相手がいわゆる当たり屋的な意図を持っているケースでは、例えば、顔を殴られてむち打ち症様の傷病になって腕の痺れが後遺症として残ったと主張された場合は、医師であってもその真偽の診断は困難であるため、長期に渡って治療費や休業補償などを請求される恐れが生じ、その額は貴方の人生に重くのし掛かってしまうはずです。
先に殴らせることは勇気がいることですが、本護身法で習う“収め流さばきの技”をイメージしながら対峙して備えて受け流し、決して自分からは先に手を出さないことが貴方の人生を台無しにしない為に有益な手段だと思います。もし、その後に大立周りにエスカレートした場合でも、相手が先に手を出したので身を守るために仕方なく反撃したと主張出来ます。
その4: “殴る蹴るは不幸を招く可能性が大、極めて制する”を理想とする
暴力トラブルから自身の安全と生活を護る為のセオリ-その4は、より理想的な暴力の収め方、“殴る蹴るで抵抗不能にするのでは無く、関節を極めて制圧”するであります。
私は、空手やボクシングなどの打撃系をバックボーンとする武術家でありますが、学生時代には柔道やレスリングなどの掴み系の競技も大学生の部員に渡り合えるスキルを持っていました。しかし、柔道整復師の専門学校を卒業してからは、約四半世紀に渡って打撃系オンリーの武術家になっていました。
そして、2017年あることが切っ掛けで福祉現場向けの収め護身術を開発する事になったのですが、そのことが武術家として大きな気付きに繋がりました。
それは、世の中の見え方が変わるほどの新鮮な驚きでありました。私はこれまでに、他の方も恐らく同じだと思いますが、打撃系の武術家は例えば、公衆の場で傍若無人に振る舞う輩が居たとして、注意したい気持ちがある反面、もし、喧嘩沙汰にエスカレートした際に、無意識に渾身のストレートを放ちノックアウト、打ち所が悪くて生死に関わるような怪我を負わせてしまったら大変な事態になってしまうのではといった不安が付きまとっていました。
その考え方が一変したのが、殴る蹴るではなく関節を極めて制する逮捕術のような収め方だったのです。腕を固めで制してしてしまえば、肩や肘の靱帯が伸びたり脱臼したする怪我は負わせることはあっても脳挫傷や内臓破裂などの重篤な結果は回避出来ることがはっきりとイメージ出来る様になると、大きな心のゆとりに繋がりました。
“殴る蹴るは、暴力の応酬がエスカレートして双方が取り返しの付かない結果を招く可能性が高く、関節を極めて制することが優位である。これが、収め流護身術の考え方の1つです。
その5: “周囲の人々を味方に付けて収める。
暴力トラブルから自身の安全と人生を護る為のセオリ-その5は、周囲の人々の助けを得て収める。であります。
より安全に暴力を収める為には、周囲の助けがあればこれほど頼もしい事はありませんが、周囲の人はどちらの味方付くべきかの判断が付かず、また、面倒に巻き込まれない様に関わりを避けるケースも多々あると思います。
そこで、周囲の人々の助けを得る手段として有効になるのが先の後手から極めて制した上で、例えば、「この人暴漢です。誰か警察を呼んで下さい。」と叫びましょう。
そうすることで周囲の人はどちらが悪人で、どちらの味方に付くべきかが明快になって、110に電話してくれるだけでなく、警察が到着するまでの間取り押さえる協力者になってくれる期待も高まるはずですし、警察の事情聴取に対しても相手が先に手を出したなどの有利な証言をしてくれる事でしょう。
また、警察が到着する前に相手が脱出したとしても貴方に周囲の人の加勢が付いたこと、あるいは警察が向かっている理解したことで、逃げ去る確率が格段に高まるはずです。
“周囲の人々を味方に付けて無難に収める。”これも、収め流護身法の考え方の1つです。
その6: 強い者だからこそ身に付けるべきスキルである。
皆様の中には「私は、腕っ節が強いから今更護身の技を覚える必要など無い。」と思われた方もおられると思いますが、私は、そのような方にこそぜひ本メソッドを習得して頂きたいと強く願っております。
と申しますのも、私は、本護身法を開発するまでは、暴力に巻き込まれる事が逆の意味で恐ろしくてたまりませんでした。数十年鍛え上げた拳は一撃で相手の顎を砕き、必殺の前蹴りは内蔵を破壊しかねないことを知っているからです。
レフリーのいるリング上で強さを競うのは別として、路上や酒の席で殴りかかられたならば、身体が勝手に反応して気がついた時には相手が泡を吹いて悶絶、病院のICUで生死の境をさまようような事態になったならば自分だけでなく家族にも大きな悲劇として跳ね返って来ることが必至であり、留置所の中で武を身に付けてしまった自分を悔やみながら絶望の淵にいるに違い無いと想像することがあるからです。
事実、ボクサーや空手家などが暴力トラブルに巻き込まれ相手を死に至らしめたり、重傷を負わせた事件は数えきれないことから、武術や格闘技に関わる者全てが、本メソッドが契機となって、過剰防衛にならずにその場を収める護身の技術と、いざ暴力沙汰に巻き込まれた時の収めのシュミュレーションを身に付け、指導に活かす文化が根付いて欲しいと強く思うようになりました。
ところで、本護身法を習得する事は、従来には想定外であったお年寄など身体的弱者への武の向け方も身に付くなど武術家や格闘家としての視野が格段に広がるなどメリットが少なく無いはずです。