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 総合療術協会代表池田です。私が20代で指名率100%の男と呼ばれ、整形外科でインターンをしながら仕事が終わった夜や休日などのプライベートだけで、月に100万円を稼ぎ続けられる施術スキルを身に付けるまでの経緯についてお話致します。

 

 私が結婚したのは25才、それから間もなくして娘が生まれた。当時は、整形外科でインターンの身、給料は手取りで十万円程度、家族を養っていく為にはアルバイトをするしかなく、山手線駒込にある出張マッサージのお店に登録した。

 

 お店のシステムは歩合制、お客さんはほとんどが施術者を指名してくるので、指名がとれないと収入が発生しない厳しい競争原理が働く世界であった。

 

 しかしながら 当初は、指名がかからず順番で担当してもクレームの嵐、〝池田は外してくれ〟との声もあり、整形外科でのリハビリ手技では通じないことが身にしみた。

 

 自信を喪失、仕事の帰りバイクを止め巣鴨の山手線に掛かる橋で途方に暮れて夜空を見上げていると娘の愛くるしい顔が浮かんで涙が止まらなくなった。 八方塞りで当面のビジョンが描けず、本当に苦しかった。

 

 愛娘の為にも自分の力で窮地を乗り越えるしかない! 一念発起、真剣に施術の技術を磨くことにした。 指名ナンバーワンのベテラン指圧の先生に頭を下げ、お教えを乞うた。そして差別化を図る為に、身内や知り合いなどを相手に徹底して整体テクニックを磨き、これらを組み合わせたオリジナルの施術メニューをつくった。

 

 すると、お客さんの反響が一転どんどん指名が入るようになった。27才、皇族や政財界の重鎮、芸能人や各国の大使なども通う広尾の整形外科に勤務すようになると、大物大臣など各界の著名人からひいきにされ、日本を代表する大企業の奥様達(施術中の会話で、先ほどまで当時来日していたダイアナ妃と食事していたのとの話も聞けた)の間にファンクラブみたいなものが出来、夏場に軽井沢に専属としてよびたいとの声もあった。

 

 海外からのお土産も沢山いただいた。中には十万円支払って下さる踊りの家本さんもおり、福収入は、いつしかアフターフェイブや休日のプライベートだけで、月に百万円を超えるようになっていたが、30才で、接骨院を開業、1日に一人で50人以上を治療するようになると人数をこなす治療に特化、いつしか日々競争原理にさらされる本格施術を行なう機会は失われいった。

 

 そして、任天堂wiiの監修や空手道場の運営等他の事業が多忙になる中、周囲に接骨院はじめ各種の民間施術院が乱立するようになると施術への情熱が薄れて行った。

 

 しかし今、本物の総合スキルを持った、いわゆる食っていける資格者育成の理想を掲げた時、顧客に満足感を与え指名やリピートがとれるセラピー技術は強力な欠かせないツールなるはずであり、また、30余年施術現場で磨いた、ギックリ腰を80%以上の確率で一発改善させるテクニックは、多くの人に伝えるべきとの思いが強くなった。

 

 かくして、2016年4月学術的体系を整えるべく動画教材作成等の業務を経て、資格を与える養成コースを立ち上げに至った。

 

 〝運動を伴わないセラピーは片手落ち、食事療法が無い糖尿病治療と同じが〟持論、もちろん私オリジナルの各種フィットネス指導スキルもセットで習得して頂く、受講者には確かなスキルを身につけて、ユーザーの皆さんに喜ばれ感謝される仕事で確かな将来ビジョンを描いて頂きたいと思う!。

 

  池田 俊幸

 

 

 

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