【 医療枕開発着手の動機と、プログラム誕生まで 】
オリジナル性の追求と徹底検証、そして、夢のチャレンジを諦めない!が、ポリシーの代表が医療枕開発にチャレンジを決意した動機とプログラム誕生までのプロセス!
◆ 私が枕開発をライフワークにするようになった理由 ◆
その想いが芽生えたのは今から30年以上前、私が24才、研修のため整形外科で働くようになって間もない時であった。
患者山田恭子(仮名)さん42才が、先輩スタッフのAさんに相談した。「寝ると、腕が痺れて目が覚めます。枕が合わなのではと思うのですが、いい枕は有りますか?」先輩は、うーんと腕組みしながら何かを思い出したように言った。
「そうだ、TV通販で紹介しているヒョウタン型の磁気枕を試してみたら」と・・・ 恭子さん「有難うございます。早速注文します。」嬉しそうに帰って行った。
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3日後、恭子さんが来院した、受付の椅子に青ざめた顔で、片手で頬を支えている。冷や汗もかいている。
聞くと、昨夜ほとんど一睡もできなかった、横になると首に激痛と、腕の痺れが強く耐えられないので、椅子に腰かけてテーブルにオデコを付けるようにして一夜を過ごしたという。
症状が激変したのは、その日の夜中だった。A先輩に勧められて購入したヒョウタン型の枕を使って眠りについた、首を突き上げられるような違和感があったが、そのうち慣れるだろうと11時すぎに眠りについた。
目が覚めたのは、夜中の1時頃だった。首の後ろに痛みを感じて起き上がろうとしたが、首に力が入らなかった。右腕の感覚が鈍く、首を動かすと左肩に強い痛みが走った。
片手で頭を支えながら起き上がると、もう横になることができなくなっていた。仕方がないので、台所の椅子に腰かけて自分の体に起こった異常を理解しようとしていた。
やがて、睡魔が襲われたのでテーブルの上に両手を揃え、オデコを乗せてうつらうつらと朝を迎え、やっとの思いで来院したのだという。
恭子さんの診断名は、ストレートネックと頚椎症に起因する、「頸部神経根症」であった。彼女の仕事はキーパンチャー、常に前傾姿勢でのデスクワークに追われ、猫背体型になっていた。
そして、悲劇は枕の不具合であった、これは、私自身後になってわかったことなのだが、頚椎症の人が枕で首を支える形状の枕を使用すると、症状が悪化するリスクが格段に高まるのだ。
では、医療の専門家であるA先輩は、何故そんなとんでもない枕を勧めてしまったのか、実はそこにはある事情があった。
私は、早速枕と頚椎症についての内外の医学書を探した、学校の図書館でも調べた、驚くことにこの分野の研究は皆無だった。今でこそ、枕外来もあるが、30年前の医学会は枕の研究が手付かず状態だったのだ。
そのため、A先輩は、TVのイメージでなんとなく良さそうだからとの理由で、安易にとんでもない枕を勧めてしまったのだ。
恭子さんは、むち打ち症の際に使用する頚椎カラーを巻いて、痛々しい姿で帰った。彼女が横になって安眠できるようになるまで、なんと3ヶ月を要した。
私は、愕然とした。
頚椎症の患者は国内だけでも数千万人に上ると言われているのに、誰も頚椎症に対応した枕を研究していない。
ここまで医学の発達した時代であるに関わらず… そして、誰かが何とかしなければ、自分が研究して発信しようと、そして平成7年世界初の二段式のUの字状枕、『痛快ラクラ』 を開発
それから、更に研究を進めること10年、患者さんの声に謙虚に向き合いながら、やっとたどり着いたのが、こちらもおそらく世界初であろう“頚椎軽負荷仕様”、そして、“スロープ状に背中、首、頭を支える”形状の枕だった。